多くの方は20歳を少し過ぎた頃から、結婚式や結婚披露宴に招かれることが増えてくると思います。

友達から「結婚することになったため、結婚式にぜひ来てほしい」といわれたら、それは結婚式のみではなく、おそらく「結婚式と結婚披露宴」もしくは「結婚披露宴」に招待されたと思って間違いないでしょう。

それでは、結婚式と披露宴では何がどう違うのでしょうか。そしてそれぞれの意味と意義について確認していきます。

結婚式と結婚披露宴の違い

まず結婚式とは、夫婦になるふたりが一生涯夫婦でありつづけることをお互いに誓い合い、約束を交わす儀式のことを指します。

一方で結婚披露宴とはお世話になっている方や友人、親族など、お祝いに来てくれた人たちに結婚を報告し、新しい夫婦をお披露目するパーティや宴会のことです。足を運んでくれた大切な方に対して料理でもてなし、引き出物というお土産を用意するのが一般的です。

では、実際はどのように行われているかというと、結婚式だけを挙げる人もいれば、結婚式と披露宴両方をおこなう人もいます。また、披露宴だけおこなう人もいます。結婚式と披露宴の両方を同じ日におこなう場合があれば、別日におこなう場合もあります。

結婚式と披露宴の意味

それぞれの考えでどのような選択をしてもよいですが、結婚式と披露宴はそれぞれの意味があります。結婚式は基本的にふたりの間の誓いですので、挙げるか挙げないかは新郎新婦と家族で相談して決められるとよいでしょう。

一方で披露宴は人間が社会的生き物である以上、できるだけ開催されることをおすすめします。なぜなら結婚するということは、パートナーの親族とあなたも親族になるということだからです。

パートナーの友人は必ずしも自分の友人にならなくてもかまいませんが、親族だけは違います。平常時はあまり親交が深くなくても冠婚葬祭や何か困ったことが起きたときなど、最初に助け合うのは親族だからです。感情はどうであれ夫婦や親族という関係は、それほど強い関係といえるのです。

もし披露宴を実施しない場合、親族友人ひとりひとりに報告の挨拶が必要になります。

結婚という人生の大きな節目の出来事であるため、メールで一斉送信による報告は失礼にあたります。

また、これから長い付き合いになるお互いの親族にきちんと挨拶ができているかいないかで今後の関係にも影響してきます。

人生には良いときも悪いときもあります。人間であるため、大事な結婚というときにきちんと挨拶ができている人とできていない人とでは、困難にぶつかったときに受けられる援助も変わってきます。

例えば夫婦どちらかが入院した場合、仕事をしながら毎日病院に顔を出し、パートナーをサポートするのにも限界があります。もし小さい子供がいたらなおさら大変でしょう。

そのようなときに代わりにサポートしたり、子供を預かったりしてくれる人は親族です。友人でも親身になってくれる人はいるかもしれませんが、長期にわたって迷惑をかけることになる場合は頼みにくいものです。

結婚すると突然増える親族

親族という関係は普段、わずらわしさを感じることもあるかもしれません。しかしピンチになったとき、はじめて身内の存在のありがたさに気づくこともあるのです。

「あのとき披露宴に招待され、きちんと挨拶してくれた」という好印象はずっと残ります。何かあれば、ひと肌脱ごうと思う人情がわいてくるのも当然のことです。

そのためパートナーとなる人のことは、きちんとお互いの親族に紹介しておきましょう。このとき、親族のなかでも具体的にどこまでの関係の人に報告すればよいかわからない場合は、基本的に親にまかせるのが一番よいです。

血筋の濃さよりも、実際の付き合いの濃さが重要です。あなたよりも、親がどの程度の付き合いをしているかということを重視するのです。親が自身の兄弟と縁を切っている場合があれば、遠縁でも近くに住んでいて交流がある場合もあるからです。

それから、新郎側と新婦側の両家でも話し合って決められるとよいです。嫁入り婚の場合はどちらかというと、新郎家主導で決められるのが無難と思います。

ただお互いの親族の家を一軒一軒回るのは大変です。そういう点からも、披露宴という一日を設けることはとても効率の良いパートナー紹介の場であるとえいます。

結婚の報告を怠るとどうなるのか

もし、あなたの親族があなたのパートナーの顔も知らない状態のままでいたとしましょう。そしてあるとき、身内の葬儀にかけつけるという場面がやってきたとしたら、あなたのパートナーは気まずくなることが多いです。

例えばあなたのパートナーの家族が亡くなった場合、突然の出来事にわけがわからないまま時間が過ぎていきます。そんな非常事態の場であたなは、(血縁ではない)家族の一員としてどう振るまうのが正しいかわからなくなると思います。

こういうことは結婚当初、想像しにくいことです。ただ夫婦生活を送っているとこうした緊急事態の状況はいつか必ずやってきます。身内の不幸という場面で周囲の人がまったく分からないという環境は、その後ますますパートナーの親族との付き合いを遠ざける要因になります。

最悪の場合、将来夫婦の関係まで壊れやすくなることにつながります。

まさかと思うかもしれませんが、夫婦間は問題ないにもかかわらず、相手の身内(親族)にいつまでも馴染めなかったことが離婚原因になったという話は意外とよく聞きます。

もし、これが嫌な知人や友人ですと一方的に距離を置くことも簡単です。しかしパートナーの親族を苦痛に感じても、離婚しないかぎり関係は切れません。

あなたが苦痛に感じる親族であっても、パートナーから見るとその人たちは大切な身内なのです。ふたりの感じ方がまるで違うことをお互いが認め合えればよいですが、それが難しい場合はふたりの距離が離れていくことにもつながりかねません。

親族にはどんな考え方をもつ人がいるかわかりません。中には結婚式を挙げないことをよく思わない人がいるかもしれませんし、まったく気にしない人もいるかもしれません。

他にも「子供はまだできないのか」など、パートナーの親族にいわれたちょっとした一言に傷ついた経験のある人はたくさんいると思います。これについては、顔を合わせたことがない人よりも、顔を合わせたことがある人に好感をもつのは人の心理ですから仕方がありません。

人はよく知らない人には冷淡になれるものです。たとえ同じ言葉でも関係の親密さによって、優しい言葉であっても、意地悪い言葉に聞こえます。

知った顔の人が多いと何かあったときにも安心できますし、向こうからも話しかけてもらいやすいです。

結婚とはずっと夫婦が続いていくことを想定した関係です。ふたりがいつまでも幸せに暮らしていくためには、パートナーの周りの人間関係を無視することはできません。

これと同じことは、駆け落ちでもいえます。親を含め周囲の反対を押し切って結婚する駆け落ちでは、ふたりの状況が上り調子のときは問題がなくても、状況が変化し下降しはじめると急に破たんしてしまいます。

恋愛の熱が上がっているときは周りが見えなくなります。ふたりが永遠に一緒にいるということは、周囲の関係あってのことだということが心から実感できるのも披露宴のよさです。

本当に大切にすべきことを考える

「結婚式や披露宴は時間とお金の無駄」「婚姻届けを出せばそれで夫婦になれる」という考え方があります。ただ、人間関係や冠婚葬祭をおろそかにすることは、後になって生きづらい状態をもたらす可能性がでてきます。

結婚式の平均相場は200~400万円のため、若い世代にとって金銭的余裕の少ない人もいるかもしれません。そのようにどうしても難しい場合、結婚後数年たってからでも大丈夫ですので何らかの形で正式なお披露目の場を設けることは無駄ではありません。

例えば、子供が生まれて1歳くらいになってから「子供の披露も兼ねたパーティ」を開催する夫婦がいます。他にも、結婚〇周年パーティという形で開催するのも新鮮で、招く側も招かれる側も思い出に残ります。

参加者の「なぜ、いまさら?」という疑問にこたえるために、「当時はいろんな状況が重なり結婚式ができずにいた」という理由を伝えると、よりいっそうふたりを祝い、応援したくなる素敵なパーティになります。

結婚式・披露宴には想像を超えた感動がある

私は800組を超える夫婦の結婚披露宴の司会をしてきましたが、はじめ披露宴をすることについてあまり積極的ではなかった人であっても、披露宴後に「やって本当によかった」と目に涙を浮かべている姿を何度も見ました。

このような方たちはもともと「披露宴って恥ずかしいし、別に必要ない」「ウェディングドレスに特別な思い入れはないが、親はけじめが大事というから仕方なく」という軽い気持ちで興味を示していないことが多いです。

しかし、そのような気持ちで準備をすすめていたとしても、当日を迎えてみれば、そこには想像を超える感動があります。

自分たちのために時間とお金を工面して、披露宴では親族や友達が遠くからでも駆けつけ、笑顔でお祝いしてくれます。人生の中でこうした感動的なことはなかなかありません。

とくに印象的なのは、新郎新婦が披露宴の最初に入場する場面です。

想像してみてください。扉が開いた瞬間、そこには自分とパートナーの親族、それぞれの友人、会社の人たちが同じ部屋の中にいるという不思議な光景が広がっています。そして、全員が自分たちを笑顔で見て拍手喝さいを送っています。この光景は一生一度の言葉にならないような感動の光景です。

これを見たとき、新郎新婦は不思議な光景に圧倒されます。そして、はにかんだような笑顔を多くの人が浮かべます。

婚礼儀式には長い歴史がある

結婚の「婚」は女偏に昏(たそがれ)と書きます。たそがれとは、夕暮れ時のことです。

大昔は夜通し結婚を祝ったそうです。現在は大昔のように、生まれた土地周辺の狭いコミュニティの中で人間が一生を過ごすということはありません。そのため、夜を徹して祝うというわけにもいきません。

2~3時間ほどの披露宴ですが、それでも招かれた人はあなたの特別な日だと考え、できる限りスケジュールを調整して集まろうとしてくれます。テレビ電話やインターネット中継が当たり前のように可能な時代であっても、わざわざ足を運んで祝ってくれるのです。

人間は太古の昔からこのような儀式や宴会を大切にしてきました。そして現在の婚礼にも、古くからの名残がたくさんあります。

例えば和装の花嫁が頭にかぶる綿帽子は当時防寒用品だったそうです。それから現在、とても人気のある人前結婚式は、江戸時代の庶民の結婚式である「祝言」がもとになっているといわれています。

また、結婚式の日取りで人気の大安や友引など「六輝」とよばれる暦は中国の占いがルーツであり、室町時代に日本に入ってきたと伝えられています。

「準備が大変」「呼ぶ人がいない」「興味がない」など、今の状況だけで判断してはいけません。結婚式や披露宴は人と人のつながりをあらためて感じられるだけでなく、自分たちの趣味嗜好を表現し、夢を実現できる魅力あるイベントといえます。

「ふたりが生まれてきたこと」「大切な人たちに出会えたこと」を含め、すべてが運命的で神聖な気持ちになれる特別な一日が結婚式であり、披露宴なのです。

結婚式や披露宴を行おうかどうか迷うとき、ぜひ親御さんや尊敬する年長者の方に相談してみてください。結婚式・披露宴を挙げた人、挙げなかった人の両方から話を聞いてみてください。普段聞けない奥深い話を聞けるかもしれません。